【3月10日(月)】
朝6時起床
相変わらず身体が軽くて、寝起きがすごく良い。
今後もお酒やめよかな。と思ったりしたインド5日目。
朝からテンションも高く、
笹部さんから送られてきた、朝日の写真が綺麗だったので、私も屋上へ。
少しモヤがかかっているのが良き。私は好き。
笹部さんが撮った写真もどぞ
赤くて素敵。
7時に朝食。
朝食はカレーでした。
そして、インドに到着してから体調を崩していた、勇人くん。
今回一緒に旅をさせてもらっていましたが、この2日間スジャータホテルで就寝をされていました。回復した勇人くんの第一声。
「俺が1番このホテルを楽しんだ。」
めっちゃ前向き。
勇人くんいわく、朝の室内清掃に7人もいらっしゃるらしい。
そしてチップ争奪戦がはじまるというww。それ知ってるの勇人くんだけだ。教えてくれてありがとう。
チップの相場は、一人50ルピーほど。
あと、インドの紙幣の右下には、アショーカピラーがついてるのもチェック。
午前8時30分。出発。
なんと、昨日お参りさせて頂いた、一心寺の片山上人がお見送りにきてくださった。
ありがとうございました。
左が、片山上人。
真ん中が、ラフルさん。
右が、ラフルさんの幼馴染みのサンジャエさん。
ラフルさんは、京都でカレー屋さんをやってるらしいので今度行ってみよう。
出町柳駅のマーヤですって。
さて、本日最初に向かった先は、車で約40分。プラーグボディ=現地名ドゥンケシワリー。
日本語で、前正覚山(ぜんしょうがくさん)。
悟り(正覚)を得る前の山ということで、前正覚山なんだとか。
バスを下に止めて、約20分山を登ります。
お釈迦様が苦行をされた洞窟の入口
中に入ると、、
外に出て笹部さんが苦行の様子を説明してくれました。
▪️お釈迦様は29歳で出家し、生きる根本的な苦しみを乗り越えるために解脱の道を探し始めました。
出家後、最初は有名な2人の仙人(アーラーダー・カーラーマとルドラカ・ラーマプトラ)のもとで瞑想を学び、一定の境地(無所有処や非想非非想処)に達しますが、これでも「苦しみの根本的解決にはならない」と悟ります。
(※初転法輪の時に、最初の説法の候補に上がった2人はこの仙人)
次に、お釈迦様の決意と清浄な志に心を打たれた5人の修行者と共に苦行に入ります。(後の五比丘)
苦行の期間は6年とも7年ともいわれていますが、どのような苦行だったかというと。
1、食事を極限まで減らす(断食)
2、呼吸の制御(息を止めるなど)
3、体を痛めつけるような姿勢での長時間の瞑想
この苦行によってお釈迦様の身体は極端に衰弱し、文字通り骨と皮だけになったと記録されています。
しかし、どれほど苦行を積んでも「真の覚り」には至らなかったため、お釈迦様はついに苦行を辞めるのです。
そして、昨日訪れたスジャータ村の娘・スジャータが供養した乳粥を受け取り、体力を回復させた。という物語になります。一方で、この時、一緒に修行をしていた5人の修行者は、お釈迦様が乳粥を受け取ったことで「修行を放棄した」と誤解し、離れてしまうんです。。。うう悲しい話。
後に、これが「快楽にも苦行にも偏らず、中道こそが悟りへの道である」
という仏教の根本理念の「中道(ちゅうどう)」という教えとなります。
苦行をしたといわれる洞窟の奥には、お堂がありました。
お参りされている方もたくさんおられました。
山頂からの帰り道。
いよいよラジギールに!!
ラジギールって皆様ご存じ「王舎城」のことです!!
法華経が説かれた聖地。
「ずっと行きたかった場所。」
「父と約束してたけど、一緒には来れなかった場所。」
そんな思いでバスに揺られていました。
ラジギールまでの街並み。
電車の通過待ち。
事故してた。
バスの中で、笹部さんから「中道」にまつわる話(琴の譬喩)を聞いた。
お釈迦様が弟子に中道的な修行態度を説く際に、
「もしその弦があまりにも強く張られていれば、切れてしまう。逆に緩すぎれば音は出ない。適度に張られた弦こそが、よく響く音を奏でるのです。」
といったようです。
結構有名なお話らしいのですが、私は知らんかったーー。
あとで調べたら、中村元先生訳のサンユッタ・ニカーヤに記載があった。
勉強になります。
そんなこんなで、バスに揺られてーーー。あ!あ!
右手に大きな門が!
「常在霊鷲山」って書いてある。
霊鷲山の入口やーーー!!
とりあえず通り過ぎて、ホテルへ。
本日の宿、法華ホテルに到着。
フロントにあった霊鷲山の絵。
法華ホテルの中にあるお堂
水族館みたいな色合いww
部屋に入る私。
素敵なホテル。
荷物を置いてから、すぐに「パチンっ!っ」
と停電に。
もう普通になってきた。
そして、トイレの水圧がすごい!
シャツがびしょびしょになるくらいめっちゃ水が出る。
快適に過ごせています。
さて、昼食はこのホテルで食べました。
昼食は、カレー。
写真は、撮り忘れた。
さて、昼食後。
ホテルからバスで約10分。
2016年に世界遺産登録もされている、ナーランダー僧院跡地へ。
▪️ナーランダー僧院(大学)とは。
5世紀から12世紀まで、現在のインド・ビハール州に存在した、世界初とも言われる国際的な大学都市です。学生も教授も国際色豊かで、中国、朝鮮、チベット、インドネシア、スリランカなどなど、世界中から知の探求者が集まりました。今でいうハーバード大学みたいな感じなんかな。ちなみに日本からは来ていませんが、当時の中国僧、皆さんご存じ西遊記の三蔵法師のモデルとなった、玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)がここで修行しています。
名前は「僧院」とついていますが、教えていたのは仏教哲学だけではありません。
数学、論理学、天文学、医学、文法、言語学、さらには心理学っぽいものまで教えていたようです。
学生の数は、一時は1000人はいたようですが、決して入学するのは簡単ではなかったようです。入学には知識・記憶力・論理力すべてを問われる口頭試問があったといわれています。
しかし12世紀、イスラム軍による侵攻で、ナーランダーは焼き討ちに遭い、すべてが灰になってしまいます。知の宝庫が一夜で失われるというのは、人類史上最大級の文化的喪失の一つです。。。
インドの学生に話かけられてるゆっくん。
人気者。
インドの学生さん、みんなスタイル良いよねー。かっこいい。
↓玄奘三蔵が学んだという部屋。本当かどうかは分かりません。
イスラム軍に破壊されて、胴体だけにされた仏像。
次の目的地まで移動。待ち時間、赤いオートリクシャを発見。
珍しかったのでパシャり。
さて、
次に向かった先は、多宝山。
ゴンドラに乗って行きますよーー。
門番
めっちゃ見てくるやん。
シャンティストゥーパに到着。参拝
平和の塔。
日本山妙法寺によって、1985年に建立された仏塔なんだとか。
本堂は真っ白でした。
本堂内には、2名のインドの方がいらっしゃいました。
一人は、大太鼓を叩いてお題目を唱える係。
もう一人は、お布施をくださいと言う係。
チームワーク。
そして、ここの場所から霊鷲山が望めるんです!
見えにくいかもしれませんが、下の方にうっすら見えるのが霊鷲山。
明朝、お参りします。
帰りもゴンドラでーー。
帰り、バスに向かっている私。と少女。
マニープリーズと言われている私。
仏跡を参拝すると、だいたいバスを降りた瞬間から、待っていてくださり、ついて来てくださる。
この後バスで5分。
ビンビサーラ王が幽閉された牢獄跡地を訪ねました。
入口。
看板
てか、ビンビサーラ王ってなん?
▪️ビンビサーラ王は、漢字で頻婆娑羅(びんばしゃら)(紀元前544年頃〜紀元前492年頃)
インド古代マガダ国(現在のビハール州)を強大にした王。お釈迦様と同時代に生きた人物で、仏教では、お釈迦様の信奉者・護持者としても知られています。
法華経の序品にも、説法を聴聞するために参集した信仰者として登場します。
序品第一(抜粋)
ーーー
時摩竭提國,有一大王,名曰【頻婆娑羅】與其眷屬千萬人俱,皆來詣佛,頭面禮足,繞佛三匝,一心合掌,端坐一面
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書き下し文(参考)
時に摩掲提国に一の大王あり、名を頻婆娑羅と言う。その眷属千万人とともに、皆、仏のもとに詣で、頭面をもって仏の足を礼し、仏を三匝して、一心に合掌し、一面に端坐せり。
ーーー
頻婆娑羅王は、摩掲提国(マガダ国)の王として、自らとその多くの眷属(臣下や家族)を伴い、仏の説法を聴聞するために参集した。
仏の足に頭をつけて礼拝し、三度まわって敬意を示し、合掌して端正に座るという、信仰者としての理想像が描かれています。
ちなみに、ビンビサーラ王の奥さんは、韋提希(いだいけ)。その子どもは、阿闍世(あじゃせ)として登場する。
ーーー
韋提希子阿闍世王。与若干百千眷属倶。各礼仏足。退坐一面。
ーーー
書き下し文(参考)
韋提希(いだいけ)の子、阿闍世王は、若干百千の眷属と倶なりき。各仏足を礼し退いて一面に坐しぬ。
ーーー
で、ビンビサーラ王ってなんで幽閉されちゃったのか?
▪️突然はじまる
古代インド・王宮サスペンス。
『野望と法と父殺し 〜ビンビサーラ幽閉事件〜』
・第一幕:ビンビサーラ、仏教と出会う
ビンビサーラ王は、インド・マガダ国の名君。お釈迦様と出会って深く感銘を受け、
「これはすごいぞ、仏教ってやつは…! 精舎(ヴェールヴァナ)も寄進だ!」
と、仏教のすごい後援者となります。
・第二幕:提婆達多、ダークサイドに落ちる
ところが、お釈迦様の従弟だった提婆達多(だいばだった)が登場。
若い頃は修行熱心だったけれど、次第にこう思うようになります。
「ブッダはさー、年もとったし…そろそろ教団のリーダー、俺でよくない?」
でもブッダは、軽くスルー。
プライドがズタズタになった提婆達多は、
「こうなったら力ずくで教団を乗っ取る…! それには…政治力だ!」
と、ダークサイドに突入。
・ 第三幕:阿闍世王子の心に忍び寄る悪魔
そこで提婆達多が目をつけたのが、ビンビサーラ王の息子、阿闍世王子。
提婆達多は、まるで悪魔のように耳元で囁きます。
「なあ、王になりたくないか? 父親を幽閉すれば、すぐ即位だぞ…?」
若さと野望に燃える阿闍世はその囁きにのり、ビンビサーラ王を王宮の奥深くに幽閉してしまいます。
・第四幕:幽閉、そして死
ビンビサーラは、牢の中でも静かに坐禅を組み、仏の名を唱え続けたといいます。
最初は奥さんの韋提希妃がこっそり、体に蜜や麦粉、ジュース状の食物を塗って牢に通い、王にそれをなめさせて命をつないでいましたが、それも止められ――
最期は餓死、あるいは自ら命を絶ったとも伝えられます。
・第五幕:提婆達多の末路、そして阿闍世の改心
提婆達多は教団を乗っ取ろうと、仏を殺害しようとすらしますが、ことごとく失敗。
投石してお釈迦さまを傷つけようとする
狂象(暴れゾウ)をけしかける
お釈迦さまの教団を分裂させようと企み「独立教団」を作るも失敗
最終的に体が裂けて地獄に堕ちた、と伝えられています。
一方、阿闍世王は後にお釈迦さまの教えを聞き、大いに後悔して泣き崩れ、仏教に深く帰依します。
・エンディング
この事件は、古代インドの王宮と宗教の関係、そして人の「野望」「嫉妬」「悔い」「慈悲」すべてを描く、まさに人間ドラマの縮図です。
急に変な文章になりまして、すみません。
ということで、
幽閉されていた、牢獄がこちら、どん。
こういうのは、想像力が必要!!
奥さんが、王様のために身体に食べ物を塗って来てた場所かーー。って。
さて、ホテルに戻って、お風呂の時間。
法華ホテルは、スジャータホテル同様に大浴場があるんです。
パブリックバス。
湯船浸かれるて、最高やん。
そして、夕飯。
夕飯は、カレー。
なんと、大塚さんが「ちらし寿司」を用意してくれてたのに、写真撮り忘れるという大チョンボ。
大塚さん、、、ありがとうございました。
そして、ラジギールに移動したので、お酒も飲めるかなーって淡い期待をしていましたが、
ブダガヤと同じビハール州でした。酒飲むのも持ち込みも違法。
どんどん健康になっていく。
ということで、インド5日目、今日も無事に終わりました。
トシくん。
今日イチバン印象に残ったことをどうぞ。
トシの今日いち。
笹部さんに、お金をねだるインドの山務員。
大浴場のシャワーは、赤蛇口をひねると水が出る。
おやすみなさい。










































