最近、西田千太郎さんのお墓を訪ねてくださる方が、少しずつ増えてまいりました。
やはり朝ドラの影響もあるのでしょうか。
せっかくお参りいただくのであれば、写真を撮って帰られるだけでなく、どうぞお墓の前で感謝の気持ちを込めて手を合わせていただければ幸いに存じます。
また、千太郎さんに関する難しいご質問をいただくことも多く、
そういう時は住職が笑いで誤魔化し切り抜けてきましたが……そろそろ限界を感じております。
法号は「光心院賢道日輝居士」
【生誕・出身】
西田千太郎は、1862年11月9日(文久2年9月18日)、松江市雑賀町にて松江藩士の家に生まれました。
のちに島根県尋常中学校(現・松江北高等学校)の教頭を務め、地域教育に貢献しました。
【小泉八雲との交流と功績】
■ 信頼と友情の絆
1890年、英語教師として松江に赴任した小泉八雲を温かく迎え入れ、教育面・生活面ともに全面的に支援しました。二人は公私にわたり深い信頼関係を築き、西田は八雲の文学活動や取材にも協力しました。八雲は著書『東の国から』を西田に献呈し、感謝のしるしとして多数の蔵書も贈っています。
■ 書簡と日記
二人の間で交わされた書簡は、150通以上にのぼります。
また西田が残した日記には、八雲の動向や交友の様子が詳細に記されており、松江時代の八雲を知ることができるのは、この日記のおかげともいわれています。さらに明治期の教育史・文化史を理解するうえで貴重な一次資料となっています。この日記は後年『西田千太郎日記』として刊行されました。

■ 人物への評価
西田の教え子には、劇作家・伊原青々園がいます。彼は千太郎を次のように語っています。
「教え方が熱心で、親切で、秩序立っており、発音がきれいで、見た目にも明るい印象の先生でした。物やわらかに、愛想よく笑っておられるが、その奥には侵しがたい威厳がありました。」伊原青々園も、師である西田の眠る墓からほど近い場所に葬られています。(長満寺墓所)

↑伊原青々園墓地
■セツによる回想
小泉八雲の妻・セツは、回想録『思い出の記』の中で、夫が西田千太郎を全面的に信頼し、心から敬愛していた様子を記しています。ヘルン(八雲)は西田を「利口で親切、少しも卑怯なところがない」「本当の男の心を持ち、お世辞を言わない人」と称えて、病弱であったことを気遣い続けました。また、西田の死後もその面影を他人に重ねて懐かしむなど、生涯にわたって友情と信頼で結ばれていたことがうかがえます
■ 友人・岸清一との縁
弁護士でスポーツ振興にも尽力した岸清一も、千太郎と同じ雑賀町の出身で、5歳年下ながら親しい友人でした。岸と八雲に直接の関係はなかったものの、八雲没後にはアメリカの出版社から著作権を小泉家に移管する手続きに尽力。さらに、八雲記念館の建設に際して多額の資金援助を行い、松江の文化振興に大きく貢献しました。西田の周囲には、このように八雲にゆかりのある人物たちとの意外なつながりも見られます。なお、岸清一の墓所も長満寺の隣にある久成寺にあります。
【晩年と死】
■ 遺書に込めた思い
西田千太郎は若くして結核を発症し、死期を悟った明治28年には、両親・妻クラ・弟精・友人宛に4通の遺書を記しました。
妻・クラ夫人への遺書には、次のような言葉が残されています。「子どもが多く、養うことが難しくなったならば、信頼できる和尚を選び、子たちを小僧に出すがよい。最初は寂しくつらい思いをさせるかもしれないが、修行の道には立身出世の望みもあり、かえって本人のためになるであろう。」多くの子を思う切なさと、僧門への深い信頼がにじみ出る一文です。

■ 最期と葬儀
1897年(明治30年)3月15日、在職中のまま満34歳で逝去。八雲との親密な友情も、その死をもって惜しまれつつ幕を閉じました。葬儀は翌日3月16日に長満寺で行われ、さらに4月18日には松江中学校による学校葬が同じく長満寺で行われました。
■ 美と友情の証
彫刻家・荒川亀斎は、彫刻・書画・発明・物理学など多彩な才能を発揮した異才の芸術家であり、小泉八雲もその技量と感性に魅了されました。この出会いをつないだのが西田千太郎です。千太郎の死後、亀斎は深い敬意と感謝を込めて自ら位牌を彫刻し、長満寺へ奉納しました。この逸話は『西田千太郎日記』のあとがきにも記されており、亀斎の人柄と、明治知識人たちの美しい友情を今に伝える貴重な証しです。

↑荒川亀斎が彫った西田千太郎の位牌


↑『西田千太郎日記』あとがきより
【現代での再評価】
■ NHK連続テレビ小説『ばけばけ』
2025年後期のNHK連続テレビ小説『ばけばけ』では、俳優の吉沢亮さんが演じる錦織友一が、西田千太郎をモデルにした人物として描かれています。劇中では、「松江随一の秀才」「外国人教師を支える存在」として登場。ちなみに、長満寺の住職は吉沢亮さんが訪れ、お墓参りをしてくれる日を心待ちにしています。
■ 史跡の活用と保存活動
近年、松江市では西田千太郎旧居の片づけや整理が進められ、地域住民や学生による清掃活動も行われています。また、旧居の一般公開や漫画作品の制作を目指す団体の設立など、地域全体で西田千太郎への関心が高まりつつあります。
西田千太郎さんの資料は以上となりますが、
お忙しい中、島根大学法文学部准教授の宮澤文雄先生には大変お世話になりました。
※ここで、宣伝です。
2025年9月23日(火・秋分の日)午前10時から、長満寺では秋のお彼岸法要を行います。
そして法要終了後、午前10時35分から、宮澤先生にお越しいただき、講演を行っていただきます。
演題は「小泉八雲が愛した日本人・西田千太郎」と題し、20分程度のご講演をお願いしております。
ぜひ、お時間がございましたらお越しください。



