【3月11日(火)】
インド6日目。
東日本大震災の発生から14年目の朝。
これから法華経の聖地「霊鷲山」に登詣します。
4時起床。5時フロント出発。
バスで約10分。
霊鷲山の下に到着。
「ウーーー!!ウーーー!!」
っていうサイレンがずーっと鳴っていた。
何のサイレンだったんだろ?
そして、足が悪い人のためのインド版おカゴもあって、山頂まで乗せてくれるのだそう。
番犬も一緒にのぼります。
山頂まで約20分。
そして、霊山橋。
霊山へ詣る橋なり。
みんな山頂まで到着できましたよーー。
鷲の頭に見える岩。
そして、暁天法要——。
この法要は、
ただただ、すごかった。
導師の笹部さんが
「妙法蓮華経 序品第一 如是我聞!!」
と声を発された瞬間、全身に鳥肌が駆け抜けました。
「一時仏住 王舎城 耆闍崛山中」
かつて、お釈迦様が王舎城の耆闍崛山、この霊鷲山におられたというその場所に、いま自分が確かに“いる”という。
ただの場所っていうよりは、時空を超えて物語の中に身を浸したかのような感覚でした。
言葉では表現しにくいんですが、
深く静かな震えのようなものが心に広がりました。
とにかくすごかった。
そして今日は、
東日本大震災から十四年。
多くの命が奪われ、深い悲しみと祈りが刻まれた、その追悼の日。
ここ霊鷲山は、お釈迦さまが真理を説かれた聖なる地。
その大地に立ち、命を奪われた方々の魂が、安らぎの光に包まれることを願いながら、
遥か日本を想いお題目をお唱えしました。
▪️今さらながら、霊鷲山について。
霊鷲山(サンスクリット語では「グリドラクータ山」)は、仏教において非常に重要な聖地の一つです。
山の形が霊鳥(鷲)のように見えることから命名されたのが霊鷲山。
この山は、法華経だけでなく、お釈迦さまが晩年に多くの説法を行った場所とされています。
法華経では、冒頭:「如是我聞 一時仏住王舎城耆闍崛山中...」
「このように私は聞いた。ある時、仏は王舎城の霊鷲山に住していた…」
この一文で始まります。つまり、
法華経は霊鷲山で説かれたことが強調されます。
霊鷲山は単なる地理的な場所にとどまらず、法華経の教えが展開される「法の世界」への入り口として象徴的に描かれています。
1. 仏の永遠性の宣言の場
法華経の中でも有名な「寿量品」では、釈尊が自分は実は無数劫の過去からすでに仏であったと説きます。これは、仏が一人の歴史的存在ではなく、永遠の存在であるということを示します。
この教えが説かれたのも霊鷲山であり、場所としての山が時空を超えた真理の場となります。
2. 多宝塔の出現
「見宝塔品」では、空中に多宝如来の塔が出現し、釈尊と並んで説法をするという壮大なビジョンが描かれます。
これは、法華経という教えの真実性を多宝如来が証明するという場面。
霊鷲山が現実と超現実が交差する地点として描かれます。
つまり、霊鷲山は、
歴史的には、お釈迦さまが説法した実在の場所で、
教義的には、法華経の真理が明かされる神聖な舞台
日常の中で法華経を信仰し、お題目をお唱えすることが、霊鷲山に登ることと同じ意味を持ち、「霊鷲山常住の仏に値う」という信仰がここに表れています。
そして、法要の最後には、笹部さんからご法話をいただき、
その最中、インドの方に
「終わったらお布施置いて」と10秒おきに言われているのでした。
私のうしろの方です。
そして、お題目とともにご来光を拝むことができました。
ご来光に手を合わせるトシくんと私。と電話中の大塚さん。
トシくんが手に挟んでいるのは、中啓ではなくDJI Osmo Pocket 3。
かなこさんが撮ってくれた、写るんですのやつ。
エモさ。
朝日がきれい。
オレンジ色。
旗のようなものは、チベットの仏教徒がつけたであろう、タルチョ。
タルチョは、5色の旗に託された文字や絵が風になびくことで、読経したことと同じ功徳を得られるという、チベット仏教の信仰のひとつです。
山頂から少し下ったところに、写真のように無数の石が丁寧に積まれた場所があります。
一見すると自然の中の素朴な風景にも見えますが、
石積みには供養の意味が込められています。
『妙法蓮華経方便品第二』の中に、次のような教えが説かれています。
乃至童子戯 聚沙為仏塔 如是諸人等 皆已成仏道
〜子どもが遊びで砂を集めて仏塔を作ったとしても、その人はやがて仏になれる〜
つまり、たとえそれが無邪気な遊びであっても、仏を敬う心に基づいた行為は、やがて大きな仏果へとつながるのです。ましてや、意識的に石を積み、誰かや何かのために祈る心がそこにあるならば、その供養の功徳はなおさら深いもの。
この教えは、私たちが日常の中で行う小さな善行であっても、それが真心から出たものであれば、決して無駄にはならないということを示しています。
山道に静かに佇む石の塔は、そうした人々の想いや祈りの結晶なのかもしれません。
もう少し降りていくと
小さな洞窟がありました。
ここは、お釈迦さまの弟子、舎利弗の庵窟だそうです。
そして、さらにその下に
阿難の庵窟だそうです。
この、阿難こそが、
「如是我聞」の本人。
帰り道
朝日が綺麗だったのでパシャリ
最高の朝だった。
ホテルに戻って、朝食を。
朝食はカレーでした。
そして、朝9時 法華ホテルを出発し、
今夜、寝台列車に乗車する
パトナ・ジャンクション駅へ出発。
地図で見ると
2時間40分くらいで到着と出とる。
今、朝の9時。多めにみて12時ごろには駅に着くなーー。と思っていたら、添乗員の大塚さんが、
「今夜の寝台列車は17時半に出発です。
それまでに到着すれば良いのですが、
たぶん道が混むと思いますので、
余裕を持って出発します!」
とのことでした。
が、ゆうてもそんなにかからんやろー、、、と思ったら
牛の通過待ち。とか
違う牛。とか
何のフェスや。
とか、いってたら。
運転手さんおらんくなった。
すんごい渋滞にハマってます。
全く動かんやん。。。笑笑。
現在昼12時過ぎ。
そんな中、いつものように笹部さんの近くに座っていた私は、素晴らしい本を紹介してもらった。
渡辺照宏先生の「新釈尊伝」。
この本、お釈迦さまの一生涯の行動を知る上で、絶対読んでおくべき本でした。
読んだ方が良いよーって教えてくれた。
ちなみに、帰ってから調べたら、中古しか販売していなかったけど、すぐポチり。
今回のこのまとめ日記も、渡辺先生の文章をかなり参考にさせてもらいました。
そして、バスの進み具合は、、、
ん、デジャブ。
全然進まんやん。
この道、一応“高速道路”の肩書きを持っているので、その名に恥じぬほど道が舗装されていて、路上ではトイレができない視界の良さが兼ね備えられていました。
今、インドの発展被害にあっている最中。
尿意を紛らわすため、
笹部さんからおすすめの本をもう一つ聞いた。
植木雅俊先生の、「法華経(サンスクリット版 縮訳)現代語訳」
サンスクリット原典(梵本)に基づく現代語訳で、今までの漢訳(特に鳩摩羅什訳)と比較して、法華経の原意が書かれていました。
すごく読みやすい。
植木先生が文中に「この人間違ってるしーー」って名指しで否定するのもおもろい。まっすぐディスる。
そして私たちが普段読んでいるものは、
インド→中国→日本の順番でやってきた漢字のお経ですが、
この本は、インドの言葉を直訳して現代語にしているから発見が多かったです。
そして、植木先生は、松江市出身の中村元先生のもとで学ばれたそうで、それもなんか嬉しい。
おすすめの一冊。
さて、バスはなかなか進まず、
このまま途中で昼食をとると寝台列車に乗り遅れるということで、
何と大塚さんからサプライズ!!バスの中でおにぎりを配ってくれた。。
写真撮ってなーーーーい。悔しい。
写真を撮る余裕がないくらいお腹が減っていたということですな。
誰かこの時のおにぎりの写真って撮ってないんかなーー。とか思ってたら、
トシくんが写真撮ってた。トシすげー。
大塚さん、いつもありがとうございます。
そして、
おにぎりだけでは満足できなかった私は、これで紛らわす。
文谷さんが持たせてくれた、【栃木県産 そうかんの干し芋】。
普段、干し芋とか食べないのに、この日に食べた干し芋は、初恋のように甘かった。
これを、少しづつちぎって口の中に運んで、空腹を満たしていました。
文ちゃんありがとう。
そして刻一刻と、寝台列車の出発時刻が迫るバスの中。
地元ガイドのプリさんと運転手さんたちの動きが忙しなくなってきました。
現在、16時。
だいぶ街中に入ってきた
そういえば、渋滞中ずっとクラクション鳴ってたなーー。インドでは普通の光景。
このバスのクラクションは、音が少し変わっていて
「テレレっ、テレレっ、テレレっ」
という音、、、。伝わらんよね。
マックのポテトが揚がった時の音です!わからんか。
ずっとこの音聞いてたので、懐かしい。。
そして、
まもなく到着しますーー!と言われてから、またぐるぐる笑笑
駅前はオートリキシャ、タクシー、バイク、徒歩の人々が入り乱れてすごい。
そもそもここパトナ駅ってどんなとこだろう?って調べたら、
【パトナ・ジャンクション駅(Patna Junction Railway Station)周辺】
1. 人・人・人…!
常に人が多く、早朝から深夜までにぎわっています。“インドの動脈”という感じ。
2. 商店と屋台のにぎわい
駅前には小さな商店、食べ物の屋台、携帯ショップなどが軒を連ねていて、チャイやサモサの香りが漂っています。ローカル感満載。
3. 交通の混沌
信号や車線はあってないようなもので、クラクションが常に鳴り響いています。車も牛も人も同じ道路を使ってる。。
4. ホテルやロッジも多め
バックパッカー向けの安宿から中級ホテルまで、駅の周辺には泊まれる場所もたくさんありますが、グレードにかなり差があるので要注意。
5. 治安は「注意しながら歩く」レベル
スリやぼったくりには注意が必要。特に夜間の一人歩きや荷物の管理は気をつけたほうがいいです。現地に慣れてないとややハードに感じることも。
日本で例えるなら…
昔の上野駅前ような感じ。昭和のエネルギーが爆発してる町並みを、インドで煮込んだ雰囲気です。
日本で例えるなら、上野駅前て。まさにそんな感じでした。
なんだかんだで、出発の1時間前には無事に到着。
現在16時30分。
そして、バスを降りた瞬間、赤いシャツの集団がスーツケースを取り囲むように近寄ってきたーー。
インドの駅には、スーツケースを運んでくれる赤シャツを着ているポーターさんがいます。現地では 「クーリー(Coolie)」さん と呼ばれているようです。
現地ガイドのプリさんがクーリーさんと値段交渉中に、大塚さんが走ってきて、
「男性の皆さん、(そんな値段だったら自分たちで運んでいく!っていう)演技をしてください」
というご指示のもと、劇団が立ち上がり、みんなで自分のスーツケースを持っていくフリを決行。
あとでプリさんに聞いたら、外国人がいると、割とふっかけられるらしい。
そもそも、この狭いロータリーで、ブーブークラクションを鳴らされて、
「こんな大っきい車を止めてんじゃないよ!」的な顔されながらの値段交渉は、泣き寝入りしちゃいそうですが、そこは現地のプリさん。心強い。
【スリ!?】
駅のエスカレーターに乗った瞬間、走ってきた若者2人が私の背後に着いた。
うわー怖いなー怖いなー。
やだなぁーやだなぁーと
思いながら、前見てたらトシくんが
「後ろ気をつけて」と。
うん、なんかわかってる。わかってるけどどうすれば良い??
その時、肩にトントン。
振り返ると若い男性。
割とイケメン。
「あーゆーフロム」
きたー英語。
「JAPAN」
といった瞬間!
もう1人の男の子が、私のお尻を触った。
間違いなく触った。
あっスリだ!
多分スリだけど、
私のお尻のポッケには何も入れてないし、
多分そこには私のお尻しかない。
同時に、話しかけてくる男の子から次の質問が来たが、聞き取れない。
その時の状況は、
パラレルワールドで
お尻を触られながら、
知らない英語で何を話してるかわからん。
この時間、早く終わってほしい!!
と思いながら。エスカレーターを登り切りました。
若者2人が去り、別れてすぐ自分のカバン、パスポートに手をかざして確認をしたら何も取られてなかった。
減るものではないけど、
お尻をたくさん触られました。別に良いけど。
緊張した。。でもこれはこれで良い経験ができた。
もちろん、写真など撮れるはずもない。。。
駅のホームに到着して気づいたのですが、
インドの駅には改札がないのかな。多分。誰でも入れちゃうっぽい。
だからみんな線路を歩いて入ってきてる。
私たちの電車が到着するホームの反対側に、電車が入ってきたーー。
人がパンパンに入ってた。しかもインドの電車は車両数が多い。あと天理高校の帽子ほしい。
電車が到着したその瞬間は、
わーーーー!!
っと大きな怒鳴り声とともに、降りてくる人と入る人が行き交うすごい争いが行われていました。防衛大の棒倒しみたいな。
ガイドのプリさんが小声で説明してくれた。
「この電車は、自由席電車。私たちは予約電車だから大丈夫よ」
と相当不安そうな顔をしていた私たちに優しく声をかけてくれました。
さて、ここから寝台列車に乗っていくのですが、
寝台列車に団体で乗る時は、チームワークが必要ということで、
1、まず、女性陣は自分たちの席に乗り込む。
2、別の入口から、男性陣がスーツケースを車両に入れる。
3、スーツケースを自分たちの席の下に投げ込む。
4、そして全員乗り込む。
これを停車中の2分でやる。
このドキドキと、チームワークが楽しかった。久々に団体競技をやった気分。
無事に乗車。よし。
そして、発車ーー。
そういえば、インドの電車ってその日に到着しただけでラッキーだということを聞いたことがあったけど、定刻通りにちゃんと来た。
素晴らしい。
そして、自分の席に移動して着席。
寝るまでの間は、下の席で喋ったり、くつろいだり、
そして、
初の寝台列車ご飯。
夕食のメニューは、カレー。
プリさんが弁当を注文する時に、
「この弁当は、美味しいのかい?」
と、聞いたら、売り子さんが訳のわからないことを言って誤魔化された逸品。
はてはて。お味はというと、
美味しい。カレーはいつでもどこでも美味しい。
マンゴーのチャツネシロップみたいなのは、ドレッシングだったのかしら。
四角いのは、なんか甘いのを固めて湿らせた感じ。インドデザートの甘さは、想像をはるかに超えてくる。
そして寝台列車の中は、かなり楽しかった。ずっとヘラヘラしてた気がする。いつもか。
トシくんや、修也くん、ゆっくんとたくさんお話ができました。
そして、寝台列車が各駅に停車すると、すぐに売り子さんがペットボトルの水や、お弁当や、軽食、あとチャイも売りにくるんです。
寝台列車のチャイ。優勝。
美味かった。
チャイ味わう。チャイうまい。
そして、寝台列車のベット事情は、
毛布が一枚(枕の下にある)と、
インドの歴史を感じるヴィンテージ枕と、
書類封筒に入っているシーツ各種、となっております。
こんな感じで寝ます。
ちなみに、2階へはハシゴみたいなものはなくて、端っこに足を引っ掛けて筋力のみで登るSASUKEシステム。
股関節やられる。
後、トイレは、こんな感じ
もちろん、紙などない。
でももう全然いけるようになってしまった。なじんだ。
さて、インド6日目も充実した1日でした。やっぱり霊鷲山の法要がいまだに忘れられないよなーーー。って浸ってた。
寝る前の恒例、トシくんの印象に残った今日の出来事。
トシの今日いち。
インドの寝台列車。
自分の席に、
知らないインド人いがち。
おやすみなさい。

























































